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「平均の物価」と「私の生活」のあいだで起きていること

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日本は長くデフレの国だった。値段は上がらない、給料も大きくは上がらない、預金していれば少なくとも目減りはしない。そういう世界に、私たちはあまりにも慣れてしまった。ところが足元では、円安、原油高、輸入物価の上昇、企業の価格転嫁が重なり、じわじわと別の社会へ移りつつある。問題は、公式統計に表れるインフレ率と、生活者が感じる苦しさのあいだに大きなズレが生まれていることだ。

たとえば、ある月のCPIが前年同月比1.4%だったと聞くと、数字だけ見れば穏やかに感じる。だが、スーパーで買う食品、飲料、菓子、調味料、外食、日用品は、それ以上に上がっていることが多い。逆に、ガソリンや教育費、政府補助が効いた電気・ガスなど、特定の項目がCPI全体を押し下げることもある。子どもがいない世帯、車に乗らない世帯、教育費補助の恩恵を受けない世帯から見れば、「自分の生活」と「平均的な家計」はかなり違う。CPIは嘘ではない。しかし、すべての生活者を代表しているわけでもない。

このズレは、実質賃金の見方にも影響する。実質賃金は大まかに言えば、名目賃金の伸びから物価上昇率を差し引いたものだ。名目賃金が3%上がり、物価が2.5%なら、統計上は実質賃金プラスに見える。だが、ある世帯の生活必需品が5%上がっていれば、その世帯にとっての実質生活水準はむしろ下がっている。つまり、公式の実質賃金が小幅プラスでも、食費、光熱費、家賃、ローン、保険料などに支出が偏る世帯では、「生活は苦しくなった」と感じるのは自然だ。

さらに、金利上昇が加わると話はより複雑になる。日銀が物価上振れを警戒して利上げを進めれば、変動金利型の住宅ローンを抱える世帯には返済負担が増える。ローン金利の上昇はCPIにそのまま反映されるものではないが、家計のキャッシュフローには直撃する。つまり、統計上の物価上昇率以上に、実際の生活費は重くなる。食料品の値上げ、光熱費、家賃、ローン返済が同時に効く世帯にとっては、インフレは「数字」ではなく、毎月の口座残高の減り方として現れる。

政府の補助金政策も、このズレを広げる可能性がある。電気代、ガス代、ガソリンなどは、補助によってCPIを押し下げやすい費目だ。短期的な家計支援としては意味がある。だが、補助によって平均CPIが抑えられても、食品やサービス価格、家賃、ローン金利、社会保険料まで抑えられるわけではない。結果として、公式統計では「物価はそこまで高くない」と見える一方で、生活者は「いや、明らかに苦しい」と感じる。政策の意図がどうであれ、平均値と実感の乖離は拡大しうる。

ここで重要になるのが、インフレ社会を生き抜く力だ。デフレ時代には、現金や預金を持つことが合理的だった。物価が上がらず、金利も低いなら、リスクを取って投資する必要性は薄かった。しかしインフレ局面では、現金は静かに価値を失う。株式、不動産、投資信託、外貨建て資産などを持つ人は、資産価格の上昇によって生活費上昇の一部を相殺できる。一方、現預金しか持たない人、あるいはそもそも投資に回す余力がない人は、インフレを正面から浴びることになる。

政府が「貯蓄から投資へ」と掲げ、NISAを拡充してきた背景には、こうした時代変化への対応がある。だが、制度が用意されたからといって、すべての国民が使えるわけではない。投資には原資が必要であり、生活費に追われる世帯にはその余力がない。若年層、非正規雇用、中小企業勤務、子育て世帯、介護世帯、年金生活者などにとって、投資は「やった方がいい」と分かっていても、実行できるとは限らない。後から投資の必要性に気づいても、その頃には物価高で可処分所得が削られ、積み立てる余力すら残っていないかもしれない。

そうなると、資産を持つ人と持たない人の差は時間とともに広がる。株式や不動産を持つ人はインフレや円安の恩恵を受け、持たない人は生活費上昇だけを受ける。これは単なる金融リテラシーの差ではない。過去30年のデフレ環境に適応してきた人々が、突然インフレ社会への対応を求められているという構造的な問題でもある。預金中心で生きてきたことは、当時の環境では必ずしも非合理ではなかった。にもかかわらず、環境が変わった瞬間に「投資していなかったのは自己責任」と切り捨てるのは酷だろう。

では、政府は生活に困る層を放置できるのか。おそらくできない。物価高で実質生活水準が落ちる人が増えれば、消費は弱り、少子化は進み、医療・介護・住宅・教育へのアクセス格差も広がる。社会不安や政治不信も強まる。結局、政府はどこかで支える必要に迫られる。そのとき焦点になるのが、社会保障制度と税制の再設計だ。

今後は、所得だけでなく、金融所得や保有資産も負担能力として見る方向に議論が進む可能性がある。医療・介護の自己負担、社会保険料、金融所得課税、相続・贈与税、固定資産への課税など、再分配の対象は広がりうる。これは生活困窮層を支えるためには一定の合理性がある。一方で、投資して資産形成してきた人から見れば、「リスクを取って、節約して、将来に備えてきたのに、後から負担を増やされるのか」という不公平感が生まれる。

ここに、日本社会の次の火種がある。投資できなかった人は「資産を持つ人だけが守られている」と感じる。投資してきた人は「努力して築いた資産を狙われている」と感じる。どちらにも言い分がある。超富裕層だけでなく、むしろ数千万円規模の資産を築いた準富裕層や上位中間層が強い不満を持つ可能性もある。彼らは逃げ切れるほど巨大な資産を持つわけではないが、制度上は「負担能力がある」と見なされやすいからだ。

治安や社会の空気にも影響は出るかもしれない。物価高や格差が直ちに犯罪増加へつながると単純には言えない。だが、経済的余裕が失われれば、万引き、詐欺への加担、闇バイト型犯罪、生活困窮を背景としたトラブルは増えやすくなる。何より、社会全体の空気が荒れる。数字上は大崩れしていなくても、「自分だけが取り残されている」「制度は公平ではない」という感覚が広がれば、政治不信や分断は深まる。

結局、これからの日本で問われるのは、単にCPIが何%か、実質賃金がプラスかマイナスかではない。平均値では見えない生活の苦しさをどう捉えるか。インフレに対応できる人とできない人の差をどう埋めるか。投資を促しながら、投資できなかった人をどう支えるか。そして、支えるための負担を誰に求めるのか。これは経済政策であると同時に、社会契約の問題でもある。

デフレの時代には、何もしないことが安全だった。インフレの時代には、何もしないことがリスクになる。だが、その変化に全員が同じ速度で適応できるわけではない。だからこそ、これからの日本では「貯蓄から投資へ」というスローガンだけでは足りない。投資できる環境、失敗しても再挑戦できる制度、生活防衛のための賃上げ、そして納得感のある再分配が必要になる。

公式統計では穏やかに見えるインフレの裏で、家計の現場ではもっと深い変化が進んでいる。平均のCPIと、私たちの財布のあいだにある距離。その距離を見誤ると、日本は「投資しなかった人の不安」と「投資してきた人の怒り」が同時に高まる社会へ進んでしまうかもしれない。インフレとは、単に物価が上がる現象ではない。誰が守られ、誰が取り残され、誰が負担するのかを突きつける、分配の問題なのである。

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