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体験録:緊張性気胸で救急搬送〜誤診・再発も体験しつつ完全回復

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目次

緊張性気胸

気胸は、簡単に言えば肺から空気が漏れる状態です。

私の経験を基に紹介します。

見過ごされた気胸発症

二十歳の頃でした。

本当に平穏な生活をしていたある日の夜、何となく左胸上部にピリピリとした違和感を覚えました。

丁度弟を膝に乗せてリクライニングチェアに寄りかかっている時でした。

何度もそんな話をしていたのでよく覚えています。

でもその時は特に気にもせず、お風呂に入って寝ました。

本当にそれ以外の症状は全くありませんでした

気胸で心臓にも影響

翌日になって、どうも左胸が痛い。。。

気になるので掛かり付けの内科医を訪ね、診てもらいました。

聴診、胸部X線撮影を行い、特に異常は無いので肋間神経痛などではないかとのことでした。

ゆっくりお風呂で温めて、しっかり休めば問題ない、と。

それまでに感じたことのない違和感を伴う痛みは続いていましたが、まぁ大した事は無いのだと納得して帰りました。

その日の夜も、言われた通りゆっくりお湯に浸かって、休みました。

後から分かったことですが、この時のレントゲン写真には鎖骨の下まで押しつぶされてきていた肺がしっかり映っていました

誤診という事になりますが、滅多に出会わない疾患を町医者が見過ごしてしまうことは仕方のないことなのかもしれません。

医師の診断は絶対ではなく、心配なら遠慮なく聞き、納得することが大事だと思います。

症状悪化〜救急搬送

ところがその翌日です。

目が覚めてみると動悸が激しく、自分で脈を取ってみるとものすごく乱れていました。

速いのではなく、速さが一定では無いのです。

私は期外収縮(心拍が1回飛ぶ、良くある現象)を自覚し易い体質のようで、その瞬間を動悸として自覚します(実際に脈を取りながら経験したことがあります)。

丁度その期外収縮の時に感じるような“ドキッ”という感覚が断続的に繰り返されているような状態でした。

特に息苦しさはなく、痛みが激しいこともなく、とにかく自覚症状としては動悸です。

ベッドの中で、言いようの無い不安感・恐怖感を感じました。

Y-bow

生まれて初めて、このまま死ぬのでは無いか?という感覚に襲われました。

普段は意識していませんが、常に働き続けており、数分でも活動を止めれば死に至る臓器、心臓に明らかな異常を来たしているという感覚は、本当に怖かったです。

居ても立っても居られず、とにかくリビングへ移動しました。

歩いている時も、“このまま心臓が止まってしまうのではないか”という感覚に襲われながら。

座り込み、休んでいても症状は一向に収まりません。

母親と祖母がいましたが、状況を伝え、その後は躊躇はありませんでした、救急車を呼ぶことに。

救急隊の到着を待つ数分の間も、とても不安でした。

救急車を呼ぶ、ということは何か大事のように思えますが、この時ばかりは“これは大事だ、早く何とかして欲しい”と感じていた覚えがあります。

そして救急車が到着。

音が遠くから聞こえてくる時、安心感は間違いなくありました。

Y-bow

日本の救急医療体制には本当に頭が下がります

到着後、早速救急隊員が二人、リビングに入ってきました。

改めて症状を説明するとすぐに聴診器を当てられて、出た言葉は『左肺が完全に潰れています』でした。

後から医師に聞いた話ですが、喘息を患ったことのある患者はその苦しさを知っているせいか、片側の肺が使えなくなった程度では呼吸苦を訴えないケースがあるのだそうです。

そのせいか、症状の根本原因が心臓ではなく肺であるとは当時の私は気付けませんでした。

一般に気胸は若い細身の男性が発症しやすいことが知られています(参考:分かり易い説明:NHK健康ch)。

現在の体型(身長171cm, 体重64kg, 体脂肪率10%)と比べると当時の体型(身長171cm, 体重56kg, 体脂肪率15%)はより気胸になり易い部類だったかもしれません。

処置〜退院

早速病院に搬送された私は、これまた人生で初めて車椅子に乗せられ、細かく覚えていませんが胸部X線撮影他いくつかの検査をされたと思います。

そうこうしているうちに、状況は一刻を争うので直ぐに処置をしますと言われ、処置室に運ばれていきました。

そこが手術室だったのかどうかは良く覚えていませんが、数人の医療スタッフに囲まれて寝かされていました。

その後は、記憶にあるのは『ちょっと痛いですよー』という声とともに左胸(乳首の直ぐ横あたり)に穴を開けられ、チューブが挿入されてきました。

チューブは穴を通って胸の中を上に上がり、鎖骨の下あたりをまさぐっていたようでした。

その処置中は覚醒状態にあり、痛みも感じていましたので、私は呻いていたような気がします。(今だから理解できますが、胸膜は痛いのです)

その苦痛の時間を終え、病室に移動するために車椅子に移動をと言われてベッドから起き上がる時、胸からチューブが生えていることに気づくと共に痛みもあり、ふ〜っと意識を失いました

これまた人生初の失神というやつです。

今思い返すと、この失神は自分の状況を理解しての迷走神経反射か何かによる一過性の脳虚血だったのだと思います。

目が覚めると、入院患者が6人いる部屋の入口側のベッドで寝かされていました。

相変わらずチューブに繋がれており、数日は絶対安静であると。

ベッドの脇には尿瓶が設置されており、トイレに行くのがキツければと。

点滴もされていましたが、薬剤は覚えていません。。

改めて病状を説明されました。

肺は簡単には二重構造をしており、風船の中に風船が入っているような状態をイメージしてもらえれば分かりやすいと思います。

外側の風船を膨らませる(横隔膜をお腹側に下げたり、肋骨を広げる)と自然と内側の風船も膨らみます(肺は自身で膨らんだり萎んだりすることは出来ません、あくまでも袋です)。

気胸とは、肺(内側の風船)の一部に穴が空き、風船と風船の間に空気が漏れてしまう状態です。

気胸のイメージ、模式図

こうなると、肺自身は漏れ出た空気で押しつぶされ、換気(呼吸)ができる状態ではなくなってしまいます。

また緊急での処置をされた経緯からも、緊張性気胸であったことが伺えます。

肺が潰される上、漏れ出た空気で心臓までもが圧迫された状態です。

レントゲンでは心臓が肥大している様子も映し出されていました。

それでも、開いた穴自体は大きいものでもなく、また開きっぱなしになるようなものでもないため、空気の漏れは直ぐに止まったようです。

しかし薄い膜にかさぶたが出来ているような状態ですので、咳き込んだり、笑ったりしてさえダメと言われて静かに横になる毎日でした。

入院期間は数日間で、安静にしていれば大丈夫とのことでしたので、ただ横になって時が経つのを待っていただけでした。

翌日だったか翌々日だったか、胸に通していたチューブを抜きました。

傷口は1針か2針縫いましたが、大きな傷ではありませんでした。

とは言え、今でも薄っすら確認出来る程度には傷跡が残っています。

症状のメインは肺から心臓へ

一命を取り留めたと言えば大袈裟に聞こえますが、実際にそうでした。

再発〜転院

いよいよ退院の日になりました。

しかし、そんな時に少しだけ咳が出ていたのです。

相変わらず痛み(チューブを刺していた傷跡には若干ありましたが)や息苦しさは無かったものの、医師からは少し気になるということで急遽レントゲンを撮って確認することに。

なんと、再度穴が空いて空気が漏れている様子が確認されたとのこと。

幸い最初の時のようにダダ漏れではなく若干でしたので、特段の処置は不要で経過観察することになりました。

とは言え、気胸の状態には変わりありません。

しかし退院の手続きも済んでしまっているとのことで延長も出来ず、転院という事になりました。

たまたま転院した先の病院には父親の兄妹が務めており、私自身が小学生の頃に住んでいた場所に近いところにあった病院だったこともあって、親近感のあるところでした。

ここで改めて診察を受け、引き続き追加の処置は不要であるものの、当面の間は入院で経過観察という事になりました。

結局入院期間は1ヶ月に及び、その間じっくりと肺の回復を待ちました

その期間中に一番大変だったのは、当時まだ小さかった弟がお見舞いに来てくれて、やっているゲームの話などで笑わせに来る(そんなつもりはなくても)ので、笑わないようにする事でした。

Y-bow

それくらいなんの苦痛も症状としては無いので気にならなかったのです。

心臓に違和感

ただ一つ、気になる症状が出ていました。

左を下にして寝ると特に、心臓が内側から胸骨(胸の中心にある、肋骨と肋骨の間にある骨)を叩くようにポコポコと音がする(感覚がある)のです。

親身に観て頂いていた医師にも相当に慎重に確認して頂きましたが、どうも気胸の影響か、心臓の機能には影響はなさそうだが退院後にしっかり調べた方が良さそうだという事になりました。

やや頻脈気味(80〜100回/分程度)だったこともあり、この入院期間中には24時間心電図を取って確認しましたが、分かったことは『日中と夜間との脈拍差が大きいこと』だけでした。

日中は高めですが、夜間は50回/分程度にまで下がっているようでした。

それ以上のことは、改めて紹介先の病院で調べてみることになりました。

結局今でもこの症状や、その後数回起こった心臓の症状に気胸が関連しているのかどうかは定かではありません。

心臓については別の記事にまとめますのでそちらをご覧頂ければと思います。

退院〜完治

そうこうしているうちに肺の穴は完全に塞がり、退院を間近に迎える事になりました。

この長期間、入浴はおろかあらゆる運動が制限されていたので、人生最大の運動不足状態でした。

久々に入浴が許可された日、浴場まで歩く最中にも足の裏がむず痒くなり、血行が回復した時の、まるでしもやけになった手足をぬるま湯で温めて血行が戻ってくる時のような感覚が印象的でした。

とにかく歩くということの運動効果をこれほど実感したことはありませんでした。

私は当時は受験生で、予備校生でした。

ちょうど新年度が始まるタイミングでの発症〜入院でしたので、新年度開始早々遅れを取りましたが、学校生活とは異なる環境でしたので影響はそれほど無かったのを覚えています。

その後も気胸の再発は無いまま20年が経ちました。

医学的にもリスクはもうほとんどないと考えられます。

完治と言って良いでしょう。

気胸を調べると、必ずと言っていいほど呼吸苦についての言及がありますが、それを感じないケースもあるのだという教訓として。


このブログについてはブログ開始をご覧下さい。

その他、病気体験記は以下からご覧頂けます。

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